私は、父、森下博之の政治家としての姿を10才の頃から見て参りました。
幼いながら“選挙”というものの厳しさを肌で感じ、又、政治家の家族の1人として様々な感情を抱きながら成人致しました。
年を重ねるにつれ、父の秘書や選挙に関わる事になり、その過程で私の政治に対する考えに変化が表れて参りました。
“選挙”というのはまさしく戦いであり、情け容赦がありません。が、しかし、“政治”というのは、1人でも多くの人の幸せの為に力を尽くす事であり、“政治家”というのは選挙区の大小や政党に関わらず人への深い愛情なしでは、成立しようのない職業ではないかと自らの考えを改め “選挙”と“政治”は切っても切り離せないけれど 違うものとして扱うべきではないかとの考えになってまいりました。
その後、政治に対しての興味・関心はより一層強いものとなり、東京自民党政経塾に入塾致しました。
“政治を学ぶ”ということは、“厳しい現実を知らされる”ものに他ならず、特に今“地方の未来について”の現実は、国の存亡に直結しております。
この現実を目の前にした時、
「これらを知っていながら自分が出来る事を模索しなくていいのだろうか?自分の人生の幸せだけを追求し、このまま年を取って、後悔をしないだろうか?命のバトンをつないでくださった先人の方々や戦死した祖父に対して後ろめたい気持ちはないと言い切れるだろうか?」と自問自答し悩んでおりました。
そんな私を見て父が「悩むくらいなら歩いてみろ。1人でも多くの人と会って話を聞いてみたらどうか」と声をかけてくれました。
私ももうこれ以上 ぐずぐず悩むのも らちも開かず性にも合わないと思い、思い切ってまずは今までにお付き合いのある地域や親しい方々を訪ねて歩くようになりました。
最初の頃は何をどうしていいのやら自分の想いも上手に伝えられず、ましてや初めて会った方の想いや悩みも聞き出すことができない そのもどかしさに出るのは涙とため息ばかりでした。
しかし失敗に失敗を重ね、それでもあきらめきれずに歩き続ける私に各地域でやさしい手を差し伸べてくれる方々が 現れてくださいました。
人から人へと ご縁がつながり、高岡郡7町村の個性豊かな土地と人を知れば知る程好きになり、そこで頑張る人たちの姿に心を打たれ、
「あぁ、私はこの高岡郡で頂いたご縁を大切にし、力を尽くしていこう」と強く思うようになってゆきました。
“地方創生”は“ふるさとの再生”無くしてあらず、“ふるさとの再生”のカギは土佐の女性達の“するどい眼力”にあるのではとの考えを基に“はちきん目線でふるさと再生”というキャッチフレーズは、自分の足で歩き わき出た言葉です。
どうか皆様、最後の最後まで温かいご支援の程よろしくお願いいたします。